毎日写経~しゃぁきょうももくもくと

毎日写経した画像をアップします 誤字脱字ありで御免なさい

「写経」で検索するとムラゴン(村内)氏の記事が


最近の私の生活パターンは 夜10時ごろ寝て
午前1時か2時ごろの目が覚める
すぐ二度寝するときもあれば
起きてそのまま作業を始め
朝を迎えることもある
食事をしてブログの作業をしていると
もう眠くなることがある
眠気のままに作業をしても堂々巡りしてしまうので
眠たい時には寝て 目が覚めてすっきりした気分になれば
また作業を続けたらいい よほど効率がいい
9時になると朝に散歩時間 夕方は4時からにしている
日に二回 それぞれ1時間ぐらいを目安にしているが
いつも家に帰って時計を見ると どうかすると2時間ほどたっていることもある
腕時計はしていないし スマホでは時間も似ない
散歩のときはひたすら気になるものを撮っている
散歩から帰るとブログの記事を書いて画像アップ
Muragonを始めていぜにゃってたnoteのアップ作業ができない日もある
まあそれもそのうち作業のパターン リズムに慣れたら
両立してやれるようになるさと気楽に思っている
「なるようになる」
何事もそう思うことで先に進める


さて少し私の日常のことを書いたが
Muragonを始めていろいろ私に変化が起きた
写経を始めたのもそのきっかけ一つになったかもしれない
写経を毎日して書いたものをスマホで撮ってブログにアップ
そのためのブログを作った
般若心経については嫌な思いでしかない
高校野とき選択科目があってその一つが書道
私は父の書く力強い字にあこがれていたので
ここは迷うことなく書道を選んだ
授業はたとえば「一」の字ばかりを書くとか
当時の私には面白くなかった 若かったから仕方がない
いまなら基本が大事だということがいやほど分る
何事もそうだろうけど基本なのだ
単純なくり返しの基本の練習
その積み重ねがあった何事も上達する
その簡単な理屈が若い時にはわからない
それはそもそも何かを始めるときの覚悟の違いだろう
やることのはっきりした目的意識があるかどうかの違い
さて高校時代の私には父のような字を書きたいという思いはあっても
どうしても書けるようになりたいという思いにかけていた
他のことに熱中したりしてたからだが 人生そのものの目標も計画も何もなかった
そこで般若心経の写経の時間となった
ところが私には時間内の最後まで書きとおせなかった
そんな日が続いた とうとう書き終わることが出来なかったと思う
それでもその後写経のことは忘れているぐらいだから
書き終えることが出来なかったことを悔しいとは思わなかったということだろう
これでは上達するはずもなく 父のような字はとても書けるものではない


それから半世紀以上経ってしまった
その高校生時代に熱中していたことに挫折して 家出してしまった私は
人生そのものから落伍者となった まだ21歳になる前
自分に何ができるか何がしたいか ただ時間を持て余しているだけで
いつの間にかの50数年という年月が 何もせず何も残せず過ぎてしまった
50代には入ったころ 全く関心がなかったインターネット
パソコンを始めるきっかけに出会った 始めて間もなくミレニアム
その時からちょうど20年経ってしまった 色んなことをして遊んだ
ゲームの類は全く関心が無く NetMeeting だったり
ブログ以前のMSNコミュだったり そこでhtml手打ちのタグを覚え
手打ちでHPづくりやメルマガを発行し始めた
HPのページ作りにもハマった 「音楽でひとやすみ」のコーナーは
クラシック音楽をネットで聴きまくってある曲を取り上げ
そのイメージページを作るのに熱中した そのページ作りで心が癒されていく思いがした
そしてブログ時代?に突入 Yahii!ブログにいくつかのブログを始めた
他のところも一応手は出してみるも開店休業のブログばかり増えた
mixiも始めた Twitterも始めた でもどれも途中で休止状態 「急死」と言ってもいい
たまに訪問するものの再開することはなかった
そして今やってることは まだ続けていることは
知り合いの携帯小説家の作品をアップするブログの管理人
それからnoteに数本の記事をアップ
そして始めたのがこのMuragonブログ なぜかハマてしまった
ハマった理由が知りたくて新着テックも始めた これまでしたことが無かったことだ
そこで気になるブログには訪問 コメントも書くようになった
ブログにログインできないアクシデントがあって 別アカウントを登録
このブログを開始して写経専用にすることにした
高校生の時に最後まで書き終えることが出来なかった写経
あえてそれにチャレンジすることにした
その頃よりは少しはましな字が書けるようになったという思いがあったからだ
70を過ぎてやっと一つっ事に取り組める気がした 時が来たと思った
心の準備ができたと思った そしてその一つの大きな理由は
50年近く同居してきた姉さんと私が呼んでいた女性の死 10月の半ばだった
料理中に腰掛から落ちて足の骨を折った それ以来ベッドで寝たきり
本人は歩きたかったと思う つらかったと思う
でも私はこれまでの恩返しができると 介護を楽しんでやった
5か月の入院から退院して10月で丸5年 9月に脳溢血で一時意識不明になったが
そん時は何とか持ち直したもののいくつか後遺症が残った 
結局その後遺症の影響で食事が困難になり 10月に入ってからは点滴を続けた
ある時からその点滴を痛がるようになった 
もうほとんど会話ができなくなっていたが その姉さんが痛いと大きな声を出した
今までそんなことはなかったのに 私は痛いときは話せるねと冗談で言ったが
辛抱強い姉さんが痛いと叫ぶのはとてもつらかった
私は点滴をやめることを先生に申し出た
姉さんとも元気な時に延命治療はしないと話し合っていた
入院ももうしないと決めていた
先生も私の意向をかねてより話していたので受け入れてくださった
早く逝きたいというのが姉さんの望みだった
92歳 十分に生きた人生 卒業してもいいと思った
人生はいつか卒業する日が来る 卒業しなければと思った もうその時が来たと
その時はお祝いするよ 喜んであげるよ 歓喜の歌で送るよ
その日が来た 私は当然初めての経験だが その後の手続きを淡々と進めた
無くなった翌日が祭日でずっと家にいてくれた
きれいな美しい顔だった 翌日の午後火葬 何もしないと二人で話し合っていた
その後見つかった姉さんの私に宛てたメモ書き そこも何もしないでいいと書いてあった


そして12月 写経を始めたた 
姉さんが後押ししてくれたと思っている
一つっ事にもうそろそろ打ち込んだらって
お父さんを超えなさいって
全く無宗教で無信心な私が
それとは関係なく写経を選んだ
少し前から法華経の写経も始めた


そして今朝 写経の記事をアップした後
「写経」で検索してみた
出てきた記事の一つがリプログしたこの記事


「自分の心を見つめる写経であり、心のノートがブログです」


これは記事のタイトル
これらの言葉は私には新鮮だった
ブログを写経とは思いもつかない発想
参った
そして少しわかった
Nuragonになぜハマったかの理由の一つも
このような思いがブログから感じられるのではないかと
そしてこのブログを始めた時に村内氏から頂いたコメントの意味も
この記事この動画を観て分かった気がした
そのことが分かって また心を新たにした


PS

ムラゴンで写経ブログを始めていただき

とても嬉しいです♪♪