毎日写経~しゃぁきょうももくもくと

毎日写経した画像をアップします 誤字脱字ありで御免なさい

12/4 今日の写経

いつもは午前中には記事をアップできるのですが
散歩が終わって画像処理をしていたら
今日は診察日だと思いだして慌てて出かけました
戻ってから簡単な昼食とって 他のブログの記事をアップ
返事のコメント書いたりで この時間になりました
今日は他の作業も何もできていません
これから追々やるとしますが 時間はいっぱいあるようなのに
何もしないでも過ぎていきます
ボーットしている時間が多いからかもしれません
そんな時間も必要なんだと自分で慰めていますが
朝夕 毎日同じことを書いていますが
飽き性なのにまだ飽きません 珍しいというか
ありがたいというか続けられるだけ続けてみようと思います
そんなことが実は私は苦手でした コツコツやるというのがね
でもそれこそが人間大事なことだと思うようになりました
コツコツとした積み重ねが何かになると
積み重ねたご褒美がいつかあると思っています
ある瞬間にそのご褒美がいただけるかもしれません
いやいや どんなにコツコツやったって
何かご褒美がいただけるとは限らない
そもそもご褒美をあてにする気持ちが卑しい
コツコツというのは無心であることなのでしょうから
私が写経を始めたのは 信心からではなく
父の字のように書けるようになりたいという欲なのです
それは何につけ父を超えることが出来なかった私の
父を超えたいというコンプレックスがそうさせているかもしれないが
そればかりではなく父を理解したいという思いもある
多くの人はもっと以前
若いころに父親という壁を超えるべく父と向き合うものなんだろう
二十の時に私は家出したので 父と向き合うことなく来てしまった
私自身感じる意志のひ弱さは そうしたところにあるかもしれない
父を超える これは誰しもが経験することなのだろうが
私は家出したので 父と向き合うことができていない
それを避けるための家出ともいえる
だからこの年で父と向き合っていることになるのか
遅きに失したと思うが これが私らしさとも思う
父のような字を書きたい
そうすることで父を超えたい
超えることのできない父をもって幸せだ
般若心経のほかにもなもか始めるかもしれない
今希望としてはひらがなの練習
出来るうちに何でもやってみたい


いま少し眠くなった いつもこの時間眠くなる
夜中に目が覚めてはなにかこそこそやってるので
そのせいだろう 眠くなったら逆らわずに寝る
この記事を投稿したら
昨日も同じようなこと書いてたような


11月3日 夜の写経
拡大画像


12月4日 朝の写経
拡大画像

12/3 今日の写経

夜の9時半を回っていますね


少々眠くなってきたので


この記事を投稿したら寝ることにします


少し早いようですが


今朝は4時起きでしたので


ちょうど今ネムイネムイン


昨日の夜の写経と『今朝の写経


とっくに書き終えているのに投稿していないのは


機種変更済ませたまでは良かったのですが


なにせ新しいのでカメラ操作もうまくいきません


なぜか短い動画ばかりになっていました


それでもたくさん撮ったと思っていたら


動画を除いてブログで使える画像少ない


動画は破棄しましたけど


慣れないのでしばらく投稿もおろそかになるかも


自然携帯いじってる時間が長くなるかも


ひと眠りしてから投稿するか


投稿してから寝るか迷っている


私の最近の悩みはこんなもの


2日夜の写経
拡大画像




拡大画像


3日 朝の写経
拡大画像

父の手紙~遺書


20の夏 家出した私に
父が送ってくれた家族の経歴
これを読んで祖父の事や
父が商業高校を卒業して
朝鮮に渡ったことを知った
私はこの手紙を
父の遺言だと思った
父は敗戦で朝鮮から
幼い二人の娘 私の姉と母の家族3人で
父の母方の実家がある長崎は島原半島の東にある
国見町というところに引き揚げ
しばらくはそこで暮らしていた
敗戦後2年目の冬 そこで私は生まれた
父は仕事を探しに長崎市内に出て
後に家族全員長崎市内に引っ越すことになる
長崎には小学4年生の初めまでいた
どんな事情があったか知らないが
福岡市内に引っ越すことになった
そこには花の栽培をしている母の姉の家族がいた
恐らくその叔母を頼っての引っ越しかと思う
姉の弟もその近くにいたが
父の性格からか親戚付き合いはあまりしなかった
その性格を私は受け継いだようだ
親戚に限らず人付き合いが面倒な人間になっていた
高校を卒業して2年ほど福岡で働いたが
あることで家出することにした
家族も田舎も
それまでの人間関係をみな捨てることになる
自分を棄てることにもなる
私をだれも知らないところに行きたかった
それが20の夏 
私の人生はそこで一度終わったと思った
そして今 この月で72になりこんなことをしている
これまで何もしなかったけれど
少なくとも今はこうやって何かを書き残している
手が動く限り 頭がおかしくならない限り
こうやって何かをしているだろう
このブログを続けているかどうかは分からないが
何かをしているだろう
どんなことに出会い どんなことに興味を持ち
どんなことを始めるか 先のことは分からない
明日死ぬかもしれない 今日かもしれない 一寸先は闇
先のことは思い煩わない
これは聖書の中の言葉 信心はしていないが好きな言葉だ
もう一つ好きな言葉は
なるようになる
そして
これでいいのだ


こんな感じ精々愉しみたい