毎日写経~しゃぁきょうももくもくと

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父の字~遺書


この言葉が書かれていたのは
私の小学校の卒業アルバム
経記事を書くために確認したら
1960年卒業
当時のことだから
ページ数も少なくかなり薄い
他の数ページにも書かれていた
それに気が付いたのは高校生のころだったかと思う
ほとんど本は読まない人間だったので
ロマン・ローランって誰かさえも知らなった
この文章が彼の作品の『ジャン・クリストフ』の小説に出てくることを
かなり後になってしった
その小説の主人公のジャン・クリストフは
ベートーヴェンをモデルにしているといわれることも
そんなことを私は知らなかったぐらいだから
この言葉を恐らく私に伝えたかった父は
と全そのことも知っていたわけで
当時私の家にはそのような本はなかったと思うから
若き日の父の記憶の中にあったのだろう
私は父を理解するうえでもこの本を読んでみようと思ったものの
それに取り組んだのは30代に入ったころかと思う
その時期は読書嫌いな私が読書を義務付け
集中して本を読んだ唯一の時期
しかしそれもすべて忘れてしまった
何のために読んだのかとさえ思う
父が時々口ずさんでいた歌がある
その一説だけしか記憶にないが
その歌も父を知る手掛かりになると思い調べたことがある
それは読書に集中していた時期よりももっと後になってのこと
「climbing up」という歌詞だけを覚えていた
このことも後で調べて分かるのだが
父の生き方思想に通じるものだと分かった
いずれ書くこともあるだろうが
今回はこれだけにとどめておこう


私の小学校の卒業アルバムの写真の
ページの裏の数ページの記述
それを私への遺書だと理解した
しかし私は父の望む生き方からは外れてしまった
高校を卒業して働き始めて二年ほどったった時
二十の夏に家出したからだ
それだけではなく社会からもドロップアウトしたといっていい
しかし父も母も私に何も言わなかった
しばらくたって自動車の運転免許を取るために
書類を揃える必要があって家に電話した
父が言ったのは「飯食べてるか」の一言だけだった
私に言いたかったことはたくさんあるだろう
でも父は何も言わなかった
ただ遠くで見守っているだけだった
ずっとあと 東京に用があって出かけた父が
帰りに京都に立ち寄った
京都駅の近くであったとき父は
「親は親 子は子」とだけ言ってくれた
私はそれを自分の好きなように生きろと解釈した
どう生きようとおまえの人生 自分で責任を取れということだろう
見放されたのではなく 一人の人間として信用信頼しているということなのだ
その父や母の信頼を私は裏切れないと思った
少なくとも私は 人の道から外れないと誓った
私は両親から親の愛とは何かを教えてもらったと思っている
信じるだけではまだ足りない
信じ切る覚悟があるかと問われてると
わが子を信じ切ってこその親の愛だと
このためを思っているという親の多くは
それが自分のため 自分のエゴだと気づいていないだろう


薄い卒業アルバムに書かれた父の字 そしてその言葉に
父の強い意志を感じたものの その後の私は
70を過ぎてもまだモラトリアム
それは死ぬまで続くのだろう
しかし父の教えには背かなかった
何もできなかったが 人の道は外さなかったといえる
そして私らしい生き方人生だと言える
私らしさの結果が今の自分
こんな自分が好きだから
自分らしく生きたと思うならそれでいいと
残り少ない人生を楽しく生きればいいと
幸せだと思えるよう 言えるように生きればいいと
愉しむのが そして幸せになるための人生 命だと
感謝しかない









担任の国武先生の寄せ書き
真実を大事にしよう
この言葉も忘れられない